北朝鮮問題とは?

2002年9月17日の日朝首脳会談以降、「これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の2度にわたる訪朝団との会談で『拉致は存在しない』『行方不明者として調査する』と対応してきた。」との立場を取りつつも、上記論文について、2002年10月3日の常任幹事会後の記者会見で、保坂展人総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示していた。行方不明者がいるという話を小耳にはさみ、訪朝前に外務省や警察庁に聞いたが確認できなかった」と主張した。」と謝罪している。
社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追究を厳しく求めてきた。友好第一』で、本当の友人として批判する態度ではなかった」、「拉致を信じていなかった。
今日、執筆者と連絡がとれ、削ってもいいという了解をもらった」として、論文の削除を行った。1990年に自民党の金丸信と訪朝した田辺誠元社会党委員長は、「当時、拉致に関しては全く知らなかったと釈明し、家族からの陳情も私には届いていなかった。
2001年、日本人拉致事件が明るみに出て以降も拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」と記述した論文を同党のホームページに掲載し続けた。一方で、党の拉致問題への対応について、社会党時代から朝鮮半島問題に取り組んできた田英夫は「『ご説ごもっとも。だまされた」としている。
2002年10月7日、所属する田嶋陽子が、一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂幹事長(当時)は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。
しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどがマスコミ等によって周知されており、この党の対応に対しては党の支持者からも抗議が殺到、保坂展人総合企画室長(当時)は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。
被害者の家族には申し訳ありませんと、おわびしたい。社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、「20年前に少女が行方不明になったことは事実だが、それが北朝鮮によるものというのは何一つ根拠がなく、元工作員の矛盾だらけの又聞き証言やその他の意味付けがされて生まれたのが実態であり、日本政府が食糧支援をさせないために最近になって創作された事件である」という記載がなされた。